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1985/01/15
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 石田が続いて話そうとしていたのは、今の彼女との馴れ初めだった。

 同席していた友だちが、「前聞きましたけど、ドラマみたいですよね」と言った。僕が25、友だちが24、石田も同じ24。けれど、僕たち2人は石田に対して敬語を使っていた。それがもっとも自然に思えたからだ。

 前述のとおり、石田は高校時代の彼女と別れてからずっと彼女が欲しいとお祈りし続けてきた。彼は高校を出てすぐに工場で働きはじめたから、女の子との出会いが乏しかったというのもあったんだろう。でも、昨年、運命的な出会いを果たした。

 ふっと思い立って、ケータイのメールアドレスを変えようと思いついた。友だちとふざけて英和辞書を開き、適当に単語を選んだ。「これなんかおもしろくないか?」友人が指さしていたのは、aから始まる「死刑執行反対主義者」という意味の単語だった。

 アドレスを変えてから数日後、彼のケータイに空メールが届いた。発信者は知らないアドレスだ。心当たりのある友人に聞いてみるも、誰も知らないという。石田は、その空メールに対し「誰ですか」と返信した。返ってこない。「誰だ?」と今度は強く迫ってみた。やはり返ってこない。何回か繰り返し、「俺は石田○○だけど、おまえ名前名乗れよ」とメールを送ったとき、はじめてメールが返ってきた。文面には女の子の名前があった。
「それでまあ仲良くなっていって」と石田は言った。

 ところで、一般的に、彼女との馴れ初め、というタイプの話を聞くとき、キーになるのは出会ったときと告白したときとそれから今現在までのことで、出会ってから仲良くなっていった過程はたいてい省略される。それはあまりに当たり前のことだから語るまでもないと思っているからなのか、それとも、思い出に詰まっている出来事だから一見の人間には語りたくないと思っているからなのか、それとも、本当は語りたいけど長くなるから語れないと判断したからなのか、わからない。僕としてはその「仲良くなる過程」こそが傾聴して参考にすべき情報なのだけれど、案の定石田も、「それでまあ仲良くなっていって」と言ったあといきなり、「告白された」と続けた。
 
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 さっきの変なグチみたいな日記書いてて思い出した。

 この前、友だちの某宗教団体会員に、人を紹介された。早い話、僕に対する折伏(しゃくぶく)だ。その人も同じ会員で、仮に「石田」と呼んでおこう。

 結論から言うと、会ってよかった。と同時に、大学2年のときに僕を懸命に口説いていた会員は、人間的に飛び抜けてだめな人だったんだな、と失礼ながらたぶん正しいことを思った。

 石田は比較的背が低くて、体型はがっしりしてて、短く刈った頭には白髪が目立っていた。ちなみに、僕よりひとつ下の24歳だ。
 その頭が原因で、中学のときいじめにも遭っていたらしい。そんなこともあって、彼は白髪染めをしていた。
 しかし、高校のときに彼女ができてから染めなくなったという。逆じゃないのか、と僕は思ったけど、石田は「なんで染めてたの!って怒られた。すっげえ怒られた」と楽しそうに言った。「嬉しかったよ。嬉しいよね、ありのままの自分を好きになってくれるんだから」。
 その言葉に、僕は頷いた。経験してなくても、想像できることはある。それは、確かに嬉しかった。僕だったらそんな子がいたら絶対に離さない。もし仮に別れることになったら死んでしまうかもしれない。
 石田の気持ちは読めない。口ぶりからすると別れたようだ。その後、ずっと彼女が欲しい彼女が欲しいと勤行で祈っていたのだという。けれど、なかなかその思いが成就することはなかった。

「俺は車好きでよく改造とかしてるんだけど、そっちには功徳がたくさん出てたりしたんだ」
 勤行を繰り返し祈りを重ねると、功徳といって、いいことが起こる。少なくても教義ではそうなってる。彼の場合、車で出てたそうだ。
 イエローハットでカーナビを買おうとして契約したら、20万円くらいのものが5万年くらいに値引きされた。「なんでかわかんないけど」。
 峠を攻めているときに、コーナーのRの把握を間違ってウォールに衝突、車が真っ二つになり、廃車に。しかし本人にはかすり傷ひとつなかった。救急隊員が驚愕していたらしい。
 その後、新車を買うも、破損させてしまう。ディーラーに修理依頼したところ、43万ほどの見積もりが出てきた。と思ったのもつかの間、そこのディーラーの責任者の鶴の一声で一気に7万円に値が下がった。「7万でいいって言ってくれた」。
 さらに、修理期間中に廃車からチューンメーカーの上等のパーツ(確かスタビライザーとプロペラシャフト)を拾ったので、それを修理中の車に付けてくれると言われた。料金は込み込みで7万円。またもや「理由はわかんないけど」。

 正直、突っ込みどころは随所にあった。功徳があったらそもそも事故自体が起きないはずじゃないのか、とか、修理にしたって破損の程度がわからないし、商売上手なディーラーならやってもおかしくないことではある。ただ、僕は話を聞いてるあいだ、そんなつまらないこと指摘しようとは思わなかった。彼が勤行のおかげだ、日蓮大聖人のおかげだ、と思ってるんだったらそれでいいのだ。誰も被害を受けてないのだから。なにより本人が楽しそうだ。


 ただ、石田の体験談はこれからが本番のようだった。
 インテルがネット上でやってる「作家になろう!」プロジェクトというのがあった。サーバー上で自分の本を作って、それを作家(登録者)同士で公開しあい、人気を決めて、1位になったら実際に出版される、というもの。小説だけじゃなくてエッセイとか写真集とかもあって、選択の幅は狭いけど、ある程度は自分で自由に構成を決められる。
 僕は以前文芸部で書いた短編小説を載せておいた。このサイトってやつがけっこうリアルで、ページをめくったりするところとか、実際に本をめくっているみたいになる。そうするとどういう現象が起きるかというと、やっぱり少し良く見えるんですよね。エディタ上で見るぶんには屁にもならないような駄文が、きちんと構成すればなんかちゃんとした(?)小説みたいに見えてしまう(錯覚だと承知してはいるけれど)。それは自分のだけじゃなくて、他の人の書いた本も同じ。一見して文章がヘタクソに見えるのに、「これはこれで味なんじゃないか?」とか、「この崩れてる感じがいい」みたいに、いいところを見つけようとしてしまう。自分に苦笑するしかない。

 ただ、やっぱり長く書いてる人はあまりいないみたい。「新着」と書いてあって読んでみたら、まだ7ページしか書いてなくて執筆中、みたいなのがザラにある。「現在人気1位」って書いてあるから期待して読んだらこれも執筆中。
 作りかけを公開することに対する是非はともかく、この「作家になろう!」キャンペーン自体が始まったばかりで、終了するまでに半年以上もあるから、このペースは仕方ないのかもしれない。
 問題は、今のペースを維持できるか、ってことだ。
 小説家志望者の中って、意外と瞬発的な実力・筆力に大して差は無いんじゃないかと思う。差が出てくるのは、きっと持久力なんだ。初めから終わりまでずっと同じテンションを保ったまま書けるか、というのもそうだけど、そもそも、長編小説を一定期間書き続けることができるか、ということでもある。
 文芸部に身を置いていたときから気づいていたけど、掌篇で傑作を書くことなら何人かができていた。それこそ、プロと比較しても遜色ないくらいに。けど、長編を書く能力はどうだったんだろう。書いてたのだろうか? 書く気も起きなかったんだろうか? 真剣に小説のことについて話しあった一部の人たち以外のことは僕はわからない。おもしろくなかったけど、きちんと完成されたひとつの長編を書いた人がいて、僕はそれを単純にすごいと思った。


 これは小説家志望だけじゃなくて、すべての人間にあてはまることなんじゃないかと思う。つまり、持久力、テンションを維持できる能力は、人間が幸せになるための必須条件なんだろうなあ、と思う。
 今がどんなにみじめでも、毎月こつこつと貯金したり、素敵な恋人候補といつ出会ってもいいようにおしゃれや身だしなみを欠かさない人ってのは、とにかくうまくいくんじゃないだろうか。僕は、人間はパラメータ的に勇者傾向で、個人個人で違うのはレベルだけ、っていう考え(勇者理論)だから、ひとつのことをうまくできる人は、じつはすべてのことをうまくできる人でもある、と考えている。そういう人に小説を書かせてみてもうまくやるんじゃないか、とも。

 そもそも、一点突出してる人物なんて、現実でお目にかかったことがない。
「いい匂いがする~」と母が言った5分後には、自分の部屋にいたらしい弟までがリビングに来ていた。揃わなくてもいいタイミングで家族が全員揃ったわけだ。
 僕と僕の家族はテーブルを囲んでディスコミュニケーショナルな宙ぶらりんの会話らしきものを交わし、その意図を汲み取るところによれば、僕の作ったカレーを二人も食べる、ということのようだった。食べてみたい、食べさせて、ごちそうになっていい? 彼らが直接そういうふうに言えないのはすべて僕の性格とそれに由来する態度が原因で、つまり家族の中の僕のあり方なんてのはその程度でしかないのだけれど、それはともかく、二人にカレーを食べてもらう、というのは僕にとっても悪い提案ではないと思えた。
 相変わらずケチャップの味が若干先行していたが、分量をすべて適当に作ったにしては、そのカレーはおいしかった。実験作です、とおずおずと提出すれば十分受理してもらえるようなレベルには到達していた。……だからそこで満足しておけばよかった。
 が、見栄っ張りな僕はもう一手加えたくなった。味にインパクトとコクが無いことが決め手を欠いていたので、それを補強しようなどと思ってしまったのだった。
 結論から言えば、カレーにはコーヒーと粉末コンソメを入れた。コーヒーは料理をしながら飲んでいたもので、中途半端に余っていたから入れた。適当に入れたわけじゃなく、カレーにコーヒーを入れるとコクが出る、みたいなことをどっかで読んだことがあった。コンソメの方はネットのレシピに書かれていたもので、作る途中に入れるのを忘れていたから、ちょうどいいや、という気持ちで入れた。
 コーヒーを入れたので再びひたひたになったカレーを煮詰める。ちょっとコーヒーの匂いがしたのが気になったけど、新たに生まれ変わった(はず)のカレーをよそって食べてみる。

 その瞬間、コンソメがまずかったのか、と思った。もともと大した分量じゃなかったし、煮詰めたから、コンソメの量が多すぎたんだ、と思った。舌をツンと指すような味から僕はそう判断した。弟が立ち上がって皿を準備しだした。
「さっきコンソメ入れたんだけど」僕は素早く、話しはじめた。「なんか味が変になっちゃったみたい」
「コンソメは鶏味だからね」答えたのは母親だった。そういうわけでもないような気がするが。「ん? いつ入れたの?」
「さっき、追加で」
「ああ、それじゃあ……。コンソメは煮込む段階で入れるんだよ、ルーを入れる前」
 ううむ、なるほど、と僕は思った。解決したと考えていいようだ。確かにそんな感じの味だ。カレーの味に阻まれて、コンソメの味がきちんと舞台に上がってこれてないみたいな。
 弟がカレーを持って席についた。痺れるような緊張を感じる。僕一人だけが感じているのかもしれない。彼にも僕の緊張が移ったのかもしれない。
 弟がカレーを口に含み、咀嚼する。彼は何も言わない。咀嚼を続けながら、求人誌を眺めている。
 僕も、さっきからすっかり止まっていた手と口を動かす。もうはっきりとまずいと、それも図抜けてまずいのだと認めなければならない。味がついていない、というのを例外とすれば、食べ物に対してはっきりとまずいと感じたのは数年ぶりのことだった。その味を表現するならば異様とか異常とかそんな言葉が適していた。料理に使われるべき言葉とはとうてい思えない。 
 続いて、母親が皿を準備しだした。
 僕は本当に申し訳ない気分だった。明らかにまずい代物を、気を使って何も言わずに食べてくれている弟、最初より明らかにテンションが落ちてるのに食べようとしてくれる母親。僕は、料理すらまっとうにできない人間なのか。
 思えば、今まで調子に乗って積極的に自分から働きかけては失敗して恥をかいたり相手を傷つけたりしたことが何度もあった。今回は欲を出してコンソメなんぞを追加投入した(思えば、コンソメを注ぎ足す、という時点で考え方がみみっちい)。学習能力が欠如している。だから僕はこんなところでこんなことをやっているのだろう。
 母はカレーを食べてすぐに「苦味がある」と言った。
 それだ。僕は今まで考えていたことをすべて忘れてそう思った。この異常な感じは、苦味からきている。そしてそれは僕の入れたコーヒーからきていることも明らかだった。
「なんで苦味が出るんだろう」母は言った。「砂糖? でも今うちの砂糖は無いはずだし……」
 コーヒーが、とは言えなかった。もう、自分がどんなにおかしなことをやっていたのか認識していた。フライパンにコーヒーを回し入れたときさっと広がった黒い色、それを煮詰めたときのコーヒーの強烈な匂い。僕はごはんにコーヒーをお茶漬けのようにかけて食べるところを想像した。味の実例は目の前に存在している。急に気持ち悪くなってトイレに行きたくなった。この腹を下す感覚も、確かにコーヒーを飲んだときのそれに他ならなかった。
 コーヒーを入れればカレーにコクが生まれるのは確かなんだろう。けど、それはいろいろなものを経験した人だからこそできる芸当だった。上級者用のテクニックだ。僕がカレーにコーヒーを入れるというのは、たとえるならば、着ている服はダサくて不潔なのに、髪の毛だけ完璧にセットしている男の気持ち悪さと共通している。
 きみが気を使うべきなのは、そこじゃない。
 母と弟は求人誌を眺めて就職とかフリーターの話をしている。お互いの考えをぶつけあっている。僕はそれを聞いているだけだ。お願いだからこっちに話を回さないでくれ、と考えながら。そして実際、就職に関する話題は僕を素通りしてコーヒーカレーの匂いのするリビングに霧散していく。
 朝方、小腹がすいてネットで料理レシピなど眺めていたらカレーのコーナーにたどり着き、とてもとても食べたくてしょうがなくなった。
 だから作ることにした。幸い母は出かけていて、弟の姿も見えない。誰に気兼ねすることもなく作れそうだった。
 ネットでのレシピは、ひき肉を使ったドライカレー?みたいなものが人気があるらしくたくさん載っていたし、実際手軽そうだったので真似することにした。
 冷蔵庫の中にひき肉、たまねぎ、人参を見つけたのでその3種類の具だけで作る。ひき肉をレンジで解凍しがてら、たまねぎと人参をみじん切りにしていく。そのうちに冷蔵庫の野菜室の奥ににんにくを発見。これもみじん切りにした。
 フライパンにバターを引いてにんにくを投入、焦げ付かないように注意しながら香りを出したら、今度はたまねぎ。これも同様に慎重に炒めていく。……まあ、この辺は省略しよう。

 あれ、事前の予想と違うな、と最初に思ったのは、具を煮込む段階。水の量が多すぎるんじゃないかと思った。ドライカレー的にするのに、なんかあと1時間くらいかけなきゃいけない気がする。僕は夕飯を作っているのではなくて、昼飯を作っているのだ。そんなに待っていられない。のに、水がぴしゃぴしゃでひたってる。
 僕は中学1年のときの遠足を思い出した。あのときも班ごとでカレーを作った。カレーを初めて作る僕は水の分量とルーを入れるタイミングを完全に間違え、とても薄い味のカレースープが出来上がった。同じ班で、当時好きだった子は「カレースープもあたし好きだよ」と言ってくれたという記憶があって、とてもいい子だと思うけど、事実は違ってた気がする。彼女は何も言わずただ黙々とスプーンを口に運び、終始複雑な表情をしていたんじゃなかっただろうか。

 カレーが「これはカレーです」と言えるくらいのとろみを獲得するのに、思ったより時間はかからなかった。ネットでちょくちょく使われていたウスターソースとケチャップを味付けとして使って、塩コショウで整えたあと、一度味見してみた。少しケチャップが多すぎたような気がしたが、たしかに「これはカレーだ」と思える味だった。
 炊けたばかりのご飯を皿によそって、その上からカレーをかけた。あとは食べるだけだった。けど、ここで大きな誤算が起きた。
 母親が出先から帰宅したのだ。

 つづく

 
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