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男性
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1985/01/15
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 江頭2:50のことだ。ニコニコ動画および2ちゃんねるの強い影響を受けていることは否めないけれど、彼についてまとめられた動画や文章などを見ていくうちに、そう結論するに至った。

「これをやったら次回出られなくなるんじゃないかなんて考えないようにしている。人間、いつ死ぬかわからないからそのときのすべてを出しきりたいんだ。俺はいつ死ぬかわからないし、見てくれてる人だっていつ死ぬかわからない。視聴者が最後に見た江頭が手抜きの江頭だったら申し訳ないだろ?」

 この話を女の子に対してすると、「かっこいいね」という反応が返ってくる。「あの江頭が言うからかっこいいんだろうね」と。僕はそれに強くうなずく。でも彼女は続けてこう言うのだ。「たぶん、ギャップでそう感じるんだろうけど」

 やれやれ、と僕は村上春樹流に思った。わかってないな、と。ギャップとかそういうのじゃないのだ。
 確かに、彼女の言うことにも一理無いこともない。たとえば藤原竜也だとか妻夫木聡だとかが同じせりふを言ったところでべつにかっこいいとも感じない。だけどそれは「ギャップが無い」からではけっしてない。
 藤原竜也はかっこいい→だからかっこいいせりふをしゃべっても今さらとくにかっこいいとは感じない、という流れではなくて、かっこいいせりふをしゃべってもとくにかっこいいとは感じない→つまり、藤原竜也はかっこよくない、という流れになるはずなのだ。


 江頭がかっこいいのは、頭が薄くて上半身裸で下はタイツを履いていて見た目変態なのにときどきかっこいいことを言うから、なんて浅い理由では絶対にない。かっこいいせりふが似合う男がかっこいいのだ。そしてそれは、言葉と行動が一貫しているからだ。トルコでのスキャンダラスな行動やテレビの中を縦横無尽に駆け巡る姿は、まさに江頭語録の具現に他ならない。

 思い。行動。どちらが、というわけでなくてどちらも含めた「人間」という存在が発する言葉こそが、本物の言葉だろう。
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「後悔しないように生きたい」なんて言う人がいる。グループ面接のとき、実際そういうふうに自己アピールする人を何人も見てきた。
 けれどそんなのは無理だ。「あのときこうじゃなく、ああしていたら……」なんていうのは絶対にある。もしそうじゃない人がいるとしたら、その人は「今」が幸せで他のことなんて考える余裕の無い人か、別の可能性を考えられないほどに想像力の無い人か、あるいは妥協を繰り返すあまり妥協するのに慣れきってしまった人に他ならない、と思う。

「ひぐらしのなく頃に」というゲームで、印象的な話があった。正確には覚えていないから自分なりにアレンジして紹介すると、こうだ。

 あなたの部屋に彼氏がやってきた。なにやら両脇に荷物を抱えている。あなたが何度も見てきた、照れ隠しの笑みを浮かべながら彼は言う。
「今日○○の誕生日だったよね? プレゼント何にしようか選んでて2つまでは絞れたんだけど、その2つともいいものでさあ、決められなくって。どっちか選んで。で、残ったほうは俺にちょうだい」
 コトリ、という音とともにテーブルに置かれた2つの荷物を見る限り、大きさや重さに大きな違いはない。中身を確かめようとあなたは手を伸ばす。が、その手を彼の手が止める。
「だめ。このままで選んで」
 さて、どうする。


 右側の荷物を選んだあなたは後悔する。中を開けていくと、プレゼント用の包装の中になにやら見慣れたものがひとつ、無造作に置かれている。
「はい、誕生日おめでとう。チュッパチャップスチョコバニラ!」


 左側の荷物を選んだあなたは後悔する。中を開けていくと、プレゼント用の包装の中になにやら見慣れたものがよっつ、無造作に置かれている。
「はい、誕生日おめでとう。うまい棒タコヤキ4つ!」


 後悔するかしないか、どちらがいいか悪いかなんて「未来」になってみないとわからないし、どちらにしても大して違いはないものだ、という話だ。

 無論のこと、誕生日にそんなふざけたプレゼントをくれる男に対する態度もまた、いろいろなバージョンがある。徹底的にケンカし反省させてつきあい続ける、という選択肢。そんな男に見切りをつけてさっさと別れる、という選択肢。
 ただ、こちらにしたってきっと正解はわからないし、たぶんそんなものは無い。

 前者については、つきあい続けたことを後悔する可能性がある。誕生日プレゼントにそんなものをくれる男は、茶目っ気はあるにしても人に対してなかなか真剣になれない男で、日常生活のいたるところで甘えが見られ、2年3年経つとだんだんそのことに我慢ができなくなってくる。
「なんであのとききっぱり別れちゃわなかったんだろう。そういえばあのころ仲良くしてくれてた男の子いたなあ。思えばあたしに気があったのかもしれない。彼と別れてあの子とつきあってれば、あたしはもっと幸せだったのかな……」

 後者については、別れたことを後悔する可能性がある。衝動的ながらも決断を下し、きっぱりと別れたはいいが、その後ろくな出会いが無い。何人かとつきあったりするものの、どうもしっくりこない。彼氏と街を歩いていても、何かの拍子にしばしば昔の彼のことを思い出す。
「なんであのとききっぱり別れちゃったんだろう。あれくらい大目に見て我慢すればよかった。っていうか、ちゃんと話しあってケンカして、そしたら彼もわかってくれたかもしれない。それでもときどきはふざけて、毎日が楽しくって、あたしはもっと幸せだったのかな……」


「未来」のことなんか絶対わからない。人がいつ死ぬかだってわからないのだ。
 かわいい女の子というのは、制服を着た女子高生だった。ロリコンだとかそういうこととは関係なしに、ただふつうにかわいかった。
 その子は例のかっこいい男に連れられてやってきた。その子に僕を勧誘させて本格的に入信させる、それが目的なのは明らかだった。ただ、そういう女の子に対する僕の反応だけが誤算だったのだろう。

 誰でもそうなのかもしれないし、僕だけなのかもしれないし、あるいは僕みたいなやつに共通していることなのかはわからないけれど、かわいい女の子と近い距離にいる場合、目を合わせたり顔を見たりはできなかった。5mくらい距離を保っていればまったく問題ない。また、それほどかわいくなければ、まあ近い距離でも問題ない。ブサイクだった場合、逆の意味で顔が見れない(見たくない)。
 今ではそれほどでもない。予備校時代に重度の対人恐怖症だった僕はそれからいろいろあったりなかったりで、今では多少の女性恐怖症が残っているくらいだ。けれど、その当時というもの、僕は女の子と2分以上会話を続けた経験の無い男だった。

 会話に関しては問題がなかった。やっぱりというべきか、彼女はどういうふうにくだんの宗教が素晴らしいのかを説くだけだったし、その内容も散々聞かされてきたものだったから、僕は曖昧にうなずちを返したりちょっと反論してみたり、ときには興味が湧いてきたふりをして質問をしてみたりといった、それまでずっと繰り返してきたような態度を取り続けるだけでよかった。
 ただ顔が見れなかった。顔が見れない僕は、それでも顔を背けて人の話を聞けるほど失礼な態度はとれなかったから、必然的に、すこし視線を下げて彼女の話を聞き続けた。顔から視線を下げると、そこには胸がある。
 僕は彼女の胸を見ながら、話を聞いていた。思い返してみれば、という話だ。意識のうえでは、僕に「胸を見ている」という感覚はかけらもなかった。顔が見れない。すこし視線を下げる。するとそこにたまたま胸がある。そういうことでしかなかった。本当は胸なんかより顔を見ていたかった。
 小さいテーブルの真向かいに座った彼女の目は何が楽しいのかきらきらと輝いていた。今まで目にしてきた中で間違いなくもっとも美しいもののひとつだった。

 結局彼女と会ったのはそのときの1回きりだったし、名前なんて覚えてすらいない。そのあと僕は勧誘に対して頑なな態度を崩さず、宗教関係の人たちとは疎遠になった。

 けれど、今になってもときどきあのときのことを思い出す。
 僕には「胸を見ている」という意識はまったく無かった。でも、胸を見ていた、という事実は覆らない。あのとき、話を聞きながらずっと胸を見てくる男に対して、彼女はなんて思っていたのだろう。


 その半年後、今度は別の人、それも自分にとってとても大事な人に対して、同じようなことを繰り返してしまう。
 あんまり人に話したことはないけれど、僕は見た目万能論を唱えている。見た目がいい人はすべてがいい、というものだ。性格がいい、というところからはじまって、仕事が出来るとか会話がうまいとか表現能力がいいとかで、つまり頭もいい。僕はそう思っている。とくに根拠はないから論破しようと思えばいくらだって論破されちゃうんだろうけれど、とにかく僕は実体験からそう思っている。というか、そう思ってきた。

 なかなか宗教に醇化しない僕に対して、彼らが2度ほど、別の男を連れてきたことがあった。この男がやたらとかっこよかった。僕は今幸せです、というオーラがにじみ出ていた。少なくとも、たとえ幸せじゃなかったとしてもそんなことは絶対に表に出さないぞ、という決意が感じられる気がした。それはウラを返せば、落ち込んでる自分を表現することで同情を引いたりなんかしないぞ、という決意でもある。
 自分の身なりに敏感な人は強い。身なりに敏感だということは、世界と渡りあう方法を知り、世界と正面から戦っているということだ。だからこそ彼らは自らの内部に閉じこもって自分を慰撫したりはしない。

 そんな男と相対しながら、僕は、この人に最初に勧誘されていたらわからなかったな、と思った。今まで主として勧誘してきた男というのが、まあ失礼な話、「僕は不幸です!」と全身で叫んでいるような人だった。30歳前半に見えたけれど、童貞で仕事もうまくいってなくてお金も無い、ということがべつに告白されなくてもひと目でわかった。そんな人に「うちの宗教を信じれば幸せになる」とか説かれてもまったく説得力が無かったのだ。
 その点、かっこいい男はまとう雰囲気がぜんぜん違った。なにしろ話がおもしろかったし、ちゃんとこっちの言い分も踏まえた会話をした。けれどそれにも増して僕を驚かしたのは、「宗教なんて利用するだけすればいい」と平気で言ってのけたことだ。「俺だってそうなんだよ。やってて幸せになれないんなら誰がやるものか。もしこのまま続けてて今後不幸になることがあるとしたら、俺はそのとき即刻やめる」

 きっとその言葉は圧倒的に正しい。「今」幸せになれないことに何の意味があるのだろう。人は「今」生きているのだ。「今は辛いけれど、こうして続けていればきっといつかは幸せになれる」なんていうふうに、今の生活への言い訳として「未来」を持ち出すような態度なんかよりずっとよっぽど健全で、正しい。

 彼と話した僕は正直、揺らいだ。本気で入信するに至らなかったのは、いつまでも刹那的な僕があの祈りを捧げる情けない瞬間をどうしても許せなかっただけだ。


 ただ、彼との出会いは僕の宗教に対する考え方を変えた。だからその2週間後に僕を勧誘してきた女の子がとってもかわいかったからといって、僕は特段に驚きはしなかった。
 大学生なんてやってて、それもこんなシケた顔さらしてたからか、宗教の勧誘にあったことがある。

 あのころはとにかく人恋しくて死にそうだったから、けっこう何度も何度も話を聞くハメに陥った。彼らの話によれば、とにかく毎朝毎晩会ったこともない神様的な存在に向かってお祈りを捧げていれば自動的に幸せになるという話だった。
 もちろん信じたわけじゃないけれど、とにかく1回やってみた。まったくなんの気配も無かった。気持ちが入ってないからだと言われた。ヒマな僕は徹夜明けの朝6時、祈りを捧げてみた。騙されたつもりになってけっこうマジで祈ってみた。30秒ももたなかった。ベッドの上で正座して小声で祈りを捧げる自分の姿が情けなくて涙が出そうになった。すぐに無かったことにした。ベッドに横になって毛布にくるまり睡魔に身をゆだねる瞬間だけは確かに幸せだと思えた。

 なかなか宗教心に目覚めない僕に、彼らは地獄の存在について説いて聞かせた。なんでも地獄にもいろいろ種類があるらしく、きみはこのままだと死後、その中でも最恐といわれる地獄に落ちるよ、と言われた。死後! ちょっと笑いそうになってしまった。死後とか、あまりにも遠すぎる。
 たとえ死後地獄に落ちることになったとしても、その瞬間瞬間を今生きている僕は、毎朝毎晩どこか遠くを見ながら祈りを捧げるこっけいな自分の姿なんか絶対に許せそうにない。いつのことなのかわからない、来るかどうかすらわからない後悔なんかより、その時々で自分が感じる思いのほうがはるかに尊いものだと思う。

 ちなみに、そのあと彼らの宗教において絶対の禁忌とされるうちの1つである神社参詣を行なった。初詣だった。1月1日に白山神社と護国神社に行っておみくじ引いたら両方とも大吉だった。

 たとえば、彼らはどうするんだろう。我慢して我慢して生きて、生き抜いた死後の世界、そこには地獄なんて意味のないものはなくて入場制限なしフリーパスの天国しか実装されてなかったとしたら。あるいは成仏を目指して一心不乱に精進を重ねたあげく、閻魔さまあたりに「は? 成仏? なにそれおいしいの」とか言われたら。80年単位の未来を考えるっていうならそれくらい想定しないとだめだろう。でもそんなの、考えたって意味がない。だからいやなんだ。2年後なのか3年後なのか、10年後なのかも20年後なのかも確定できない、たんに「いつか来るはず」という意味だけしか持たない漠然とした「未来」なんて言葉を使うのは。

 だからその手の宗教にかぶれている人たちは、失礼だけど(本当に失礼だと思うけれど、事実として)バカなんだと思う。

 けれど、そんなバカのはずの集団の中にも、尊敬できそなくらいかっこいい男や間近で目をあわせられないくらいかわいい女の子は何人もいた。
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