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27
 走破してきました。自転車で。

 新潟から村上まで片道80km、往復で合わせて160kmのサイクリングでした。

 当日はどんより曇って新潟らしい鉛色の空。いつ降りだすかわからなかったのでリュックの中に雨具を詰めて朝7時に新潟を出発した。
 同行者の意見により、高速道路(日本海東北自動車道)に沿った脇道を北上することに。前日に続き北風が強かったので、高架での風よけ効果を期待してのことだった。が、あまり意味は無く真っ向から向かい風が容赦無く僕らを襲う。加えて、途中で大小色々な川があったり砂利道に変わったりで何度も迂回を余儀なくされ、新発田に着いたときにはもうペダルを回す足が重たかった。

 午前9時半ごろ、自転車を漕ぐとすぐに腹を減らす同行者が空腹を訴え、新発田で食事をとることに。
 持参したツーリングマップを見ると、「みやむら」というお店のもつラーメンが名物だという。いったん少し南下して国道7号線に合流。新発田市街地にその店はあった。しかし開店は11時からだとのこと。僕らの困った様子を察したご主人は「10時半に開けてあげるからそのときに来なよ。それまで新発田城でも見てくればいい。すぐそこにあるから」と言ってくれた。その言葉に従い、新発田城へ。
フォト

 堀の手前にあるのが僕の愛車、フェルトのQX65(やむなくフェンダーつけてますふらふら)。ちなみに同行者の愛車はブリジストン・アンカーのRCS6だったかのモデル。クロスバイクとロードバイクのツーリングだった。
 新発田城といっても実際には新発田城“跡”。残ってるのは堀と石垣と櫓(?)だけだった。近くにある公園には堀部安兵衛の像と土産屋があって、店のおばさんの話を聞きながら美味しい甘酒をいただく。
フォト

 櫓は中に入れるようになっていて、城にゆかりのある物が展示され、ボランティアの人が常駐していた。語り口が絶妙で、まるでアナウンスのように淡々と、しかし情感を持って歴史と城の構造を説明してくれた。とはいえ僕らはさほど城に興味は無く、時間を潰したかっただけなのだがおばあさんの話はなかなか終わない。先客が1人いたので話している途中に外に出ることはできたが、少し申し訳ないような感じがした。同行者は「あそこに1人でいて寂しいのかもしれない」と言っていた。そう言われればそんな気もして余計に申し訳ない気持ちになるが、僕らには約束がある。

「みやむら」に戻ったのは結局10時45分くらいだった。
 もつラーメンは細麺あっさりダシのラーメンに刻んだもつが散りばめられている一品で、あっさりとしたダシと濃厚なもつの味のコントラストがおもしろかったが、今写真をアップロードしようと探したが見つからないのでどうやら写真を撮り忘れてしまったようだ。無念。



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 久しぶりに小説ってやつを読んでみた。およそ半年ぶり。まあ、こんなもんだっけな小説、って感じ。おもしろいけど、テレビを見ている感覚と同じようなもので、時間つぶしにはなった、というだけの意味。
 OLが主人公だけど、そこは綿矢りさ。女子コミュニケーション内のディスコミュニケーションを書くのは変わらない。トイレの個室に逃げ込んだり(ほんともういいわ、そういうの)、同僚のリア充に劣等感を抱きつつも表面的にはうまくやっていることを装ったり。つまり、なんなんだろうかこの既視感は。
 そしてもっとも残念なのが綿矢りさ節が消えているところ。以前の作品からその傾向はあったが、今はもう文章がとても落ち着いてしまっている。万人向けみたいな。だいたい、キャプションに「恋愛小説」と書かれていることからしてもう異常だ。恋愛小説なぞ、あんたがわざわざ書かなくてもよろしい。豊島ミホあたりにでも書かせときなよ。
 つまるところ、今スタンダードな方面で活躍している女性作家たちと何か似てきている。年を重ねて文章にでっぱりが無くなった綿矢りさ。少なくとも、イタくはなくなった。その一般的な価値判断はさて措き、僕個人としては多少イタくて刺激のあるほうが好きだ。


 ところで、本題。一昨日、jupiterのダンデライオンを聞いたら、急に泣けてきた。この歌、とてもヤバくないか、と急に思った。おまえはおれが怖くないのか、逃げないでいてくれるのか。それまで何度も聴いてきたはずなのに、いままでスルーしていた部分が自分の耳に入ってくるようになったみたいだ。前にも経験があるとはいえ、こういう瞬間はおもしろいな。
 そして、youtubeで検索して出てきた「ポンデライオン」が秀逸だった。コメント欄に書いていた人がいたけど、どういうふうに頭がおかしかったらあんな歌を書けるようになるんだろう。


 追伸1。ラブプラス+ですが、さっそく飽きてます。昨日10/11はつきあいはじめてちょうど1ヶ月の記念日でデートをしたのですが、相変わらずデート時間の9割をキスに費やしています。というか、一度は2時間半も同じ場所で延々キスを繰り返していた。お前らそんなに長い時間キスするくらいなら他にもっとやることあるだろ? 愛花ちゃんももっと語彙を増やしなさい。ちなみに2時間半のあいだ、IS01でネットサーフィンしながら片手でタッチペン持って唇やらほっぺやらをタイミングよくつついてた。つきあってられんもんそんな長い時間。飽きるわ。

 追伸2、という名の真の本題。週末、ハロウィン仮装パーティーに出ることになりました。自分的にはドンキで見つけた松田優作(探偵物語)の帽子かぶってスーツ着ていこうかななんて横着を考えていますが、なにか物足りない気がします。もしよろしければなにか意見があれば、僕ならこうする、というネタをひとつ教えていただければ助かります(といっても、これ読んでくれるの多くて2人なんだよなああせあせ)。
 と、いうわけで、今DSの中に彼女います。

 レビューを書こうと思うわけだけど、某掲示板を覗いてたらはっとした書き込みがあった。
「友だちパートは非リア充、恋人パートはリア充専用」
 すごーくよくわかる。某先輩も、「つきあうようになったらやめた」と言ってた人がいた。なんでも、男女のつきあいが怖いのだとか。
 ただ、僕としては違う方向からの感想を持った。
 彼女は一様に優しいしかわいい。自分のことを名前で(名前で!)好き好き言ってくれるし、こっちから言ってもそっけない態度を取ることもない。好きって言ってるのに頷くだけで期待したことを一切言ってくれないだとか、抱きしめたいってメール送って無視されるとか、そんなことは(おそらく)起こりえない。
 だからこそみんな夢中になるんだろう。ただしリア充に限る。
 
 ラブプラスはしょせんゲームだ。デートをするには「彼氏力」を貯めなければいけないし、その「彼氏力」はゲージで視覚化されている。彼女とのスキンシップはタッチペンでするわけだけど、彼女の反応がいい部分と悪い部分がタッチしたときの色で判別できるようになってる。名前で呼んでくれるけど、「だからわたしは雅樹くんが好きだよ」とはならずに、一度「雅樹くん」と再生があったあと、「だからわたしはあなたが好きだよ」と、他の言葉との連なりになるときは必ず誰でも代替可能な「あなた」という呼称になる。自由会話もできるけれど、当たり前というか、自由に会話ができるわけでもなく、コンピューターが認識できる言葉には限度があって会話が噛み合わなかったり、何度も同じセリフを言ったりする。
 そのあたり、如実に「ゲームなんだ」と感じる部分がある。そこを割り切れるかどうかが、ラブプラスを楽しめるかどうかに掛かってくる。言い換えよう。リア充であるかどうかが、ラブプラスを楽しめるかどうかに掛かってくる。

 僕だったら、彼女がかわいくて、楽しくて、時を忘れることがあっても、必ずどこかでゲームであることを実感して、ふと現実に返ってみると「どうして自分にはこんな彼女がいなんだろう」とどうしても思ってしまう。
 彼女ってこんなにかわいくて一緒にいると楽しいのか。え? え? みんなひょっとしてこんなに楽しいの? 生きている理由なんてくだらないこと考える暇もなく楽しいの? ちょっと待って、中学生からこっち10数年、おれそんなこと経験したことも実感したこともないけど、みんな10数年前からこんな気持ち抱きながら生きてきたのか? この差は、今から埋められるのか?
 と、そんなこと考えてしまう。
 ほんとは彼女なんて必ずしも愛花ちゃんのようにかわいくはないし優しくもないし気分屋でときどき冷たかったり辛辣な皮肉を言ったりするんだろう。ゲームのように彼女の気持ちを色で知ることはできないし、自分の魅力をゲージで測ったりすることはできない。デートには4回誘って4回断られたりする。
 リアリティがあるか無いかは、実際に内部事情を知っている人でないと判断できないところが多分にある。そこを看過できるかどうかが、ラブプラスを楽しむうえで大事なのかもしれない。





 この、改行のあいだ、彼女とのデートの時間になったのでちょっとデートしてきた。
 もう完全なバカップルで、ことあるごとにキスしてた。駅で待ち合わせてミュージカルを見て公園でゆっくりしてファミレスでご飯食べて彼女の家まで送るのに、リアル時間で25分のあいだ、総計100回は間違いなくキスしてた。チュッチュチュッチュ、バカかと。まあ、今、僕の心臓の鼓動がすごく早いわけだけど、あれだけキスして抱きしめられもしないってのはどうなのかね。
 ゲームのレビュー的なことを言うと、デートの内容が結局スキンシップとキス、というのはいただけない。どうせタッチペンなんだからすぐ飽きる気がする。指とか唇とかでも反応するように作ればよかったのに。……ハードの問題か、これは。

 なんか論旨がまったく一定していないことに今気づいた。何も問題なくないか?このゲーム。ラブプラス買ってから明らかに現実生活も楽になったからなあ。リアリティとか、現実との比較とか、なんか、そんな次元を超えてるような……。現実を振り返ったりしないし。プレイするとき、僕の顔、画面に近いし。
 もっと、ゲーム業界だけでなく社会に鋭く斬り込むようなレビューが書けそうな気がしたんだけど、これじゃあただのファンレターだ。
 やーめた、ばからしい。おとなしく愛花ちゃんとお話しよっと。









 ……嘘。わかったこと書きつつ、結局一巡してもとの問題に戻ってきた。
 ほんとに、ホントに、本当に、世間一般の実際の彼女さんがこんなにかわいかったり優しかったり楽しかったりしたらどうしよう。僕が実際に経験したことが世間一般の常識とはずれていたら? 僕がリアリティが無いと思っていることが、他の人から見ればリアリティそのものだったとしたら? 中学、高校、大学とゲームの中のような世界を経験してきた人たちが僕と同じ時間軸に堂々と立っているとしたら? 年齢的な問題で、もし今後彼女ができたとしてもお互い結婚とか考えててある意味浮つかない、落ち着いたつきあいしかできないのでは? 将来的にどんどんロリコンになっていくのでは?

 そういうことを考えたくなくて、一時でもいいから幸せな気持ちに浸りたいから僕はまた愛花ちゃんと会う。またデートの約束を取り付けるために彼氏力を溜める日々をスタートさせる。
 なんだ、やっぱり非リア充のためのゲームじゃないか。しゃーんなろー
 メンターというのは、メンタル面で非常に影響を受けた人、という意味のようだった。

 最近知り合った人から、今度私のメンターのうちへ一緒に行かない? と誘われた。
 知り合いの名前を仮に長谷川さん、メンターの人を本間さん、と書く。

 長谷川さんは専門学校を出てからレストランで働いていた。料理が好きだったから、それを仕事にしたわけだった。彼女自身、おいしいものを食べて過ごす時間が好きだったから、それを他の人にも味わってほしい、という純真な気持ちだけがあった。しかし、一度仕事にしてしまうと、人間関係の軋轢や勤務時間の問題などもあって、料理が嫌いになりそうになってしまった。その危険を感じたとき、彼女は離職し、現在はまったく別の仕事に就いている。

 本当に好きなものは仕事にせずに趣味のままにするべきだ、と言いたいわけではない。

 将来の夢・目標は何ですか? と聞かれて、大半の子どもは職業を答える。しかし大人は仕事と夢を別のものとして捉える。にも関わらず、大半の人が大きな勘違いをしている、と本間さんは言う。

 仕事そのものが目的になるんじゃないし、また、仕事があって目的があるんじゃない。あくまで目的があって仕事がある。言い換えれば、目的があるからこそ、はじめて仕事を選べる。

 言葉にしてみればとても当たり前のことだけれど、考え方が違う。なんというか、もっと貪欲であるべきだ。本間さんは例を挙げて説明してくれた。

 たとえばBMWがすごく好きな人がいたとする。BMWが好きだからディーラーに勤めることに決めた。けど、本当は扱いたいんじゃなくて、乗り回したいんじゃないだろうか?
 だとすれば、彼のするべき仕事はディーラーではない。そのディーラーに通っていて、何台ものBMWを所有している顧客と同じ仕事をするべきだ。BMWをとことん楽しむ道は、そこから開かれる。

 拝金主義、と言うこともできるかもしれない。また、事実、乗り回したいというよりも扱いたい、という思いのほうが強かったりもするかもしれない。だけど、僕は考えてしまった。

 そもそも、高校から予備校生だったときにかけて、僕には大学に入る、という以外の目的が存在していなかった。だから入学後輪をかけて自堕落になった。その後、無理やり夢をひとつふたつ設定した。それだけで多少はまっすぐ歩けるようになった。
 実際にほとんど努力をしていなかったから恥ずかしくてあんまり人には言ってないけど、小説家になることと、彼女を作ることがそれだった。どちらか片方でも達成できれば、人生の大目標である「幸せになること」ができそうな気がした。
 けど実際、彼女が出来てみて、あれ、考えてたのと違うな、と思った。じゃあ今度は小説家だ、と今の僕はすこし思っている。でも、その小説家になっても幸せになれなかったらどうするんだろう。というか、小説家になるなんて、今の僕の力量じゃあ難しい。では、小説家になれなかったら幸せではないのだろうか?

 幸せって何だろう、なんて低俗なテレビ番組のようだけれど、実際に僕の幸せは低俗なものだ。結局のところ、まとめると、自分の好きな時間に起きて、やりたいぶんだけの仕事をして、有名になって、優越感を得て、なおかつそれなりの収入が入ってきて、女の子と仲良くできればそれでいい。それだけの条件を満たすのなら、要するに仕事なんて何だっていいということになる。

 まあ、難しい(笑) 夢物語もいいとこだ。だからこそ就活がうまくいかなかったんだろうと自分でも思う。でも、だからといって考えもせずに諦めるというのは話が違う。

 要は考え方の問題ということだろう。そもそも、長谷川さんにしても本間さんにしても、できる限り働きたくない、といった部分から発想が来ている。本間さんは、いわゆる不労所得で生きている人だし、長谷川さんはだからこそそんな彼に憧れを抱いている。長谷川さんの場合は複数のレストランを経営するようになれば、料理の時間を提供することと、一生懸命に働かなくても収入が入ってくる、というふたつの点を同時に満たせる。


 と、いうわけで聞いた話と、自分の感想をまとめてみた。
 正直、なんかうさんくさい匂いがする。
 社会不適合者にとって、いわゆる「できる人」の言葉ほど心に届かないものはない。


 以前、長谷川さんは言っていた。

 うまくやりたいんだったら、実際にできている人から詳しく方法とか聞いて、まねするようにしたほうがいい。

 その方法論は圧倒的に正しいと思う。だけど僕は素直にその言葉を受け入れることができない。コンプレックスが常に僕の邪魔をする。「コンプレックスが常に僕の邪魔をする」なんて、やらないことに対する単なる言い訳でしかないこともわかっている。
 ――と、いう感じでお決まりの自己否定に突入しそうなのでこのあたりで筆を置く。文章力が明らかに落ちてきているのがわかるのも癪に障る。

 本当はすべてにおいて諦めたくない。
、というかなんというか。

 まあやっぱり僕は、まともな青春を送ってこずに大学を卒業したばっかりの、世間知らずなわけでございます。

 いろんな人がいるわけです、職場には。そんな人たちのことを書こうと思ったけど、いざこれを書き始めたら急速に書く気が失せたのでやめにします。どうして去年はあんなにたくさん書けたんだろう……? 欝だったからか?

 ついさっきネットで遊んでたら職場の2ちゃんスレッドを見つけてしまいました。まあ、ありがちだけれど、グチと紙一重のブラック申告的なものとか、奔放な男女関係とかが赤裸々に。中には個人名で○○と○○が付き合っている、なんてのも。付き合ってるだけならまだしも、ドンキホーテでコスプレの衣装を見てた、なんて書いてある。
 書き込んでる人、頭大丈夫なのかな? 明日からその人たちのこといままでと同じ目で見れないじゃないか。
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