が、無くなっている。ミクシィの日記での創作(正確に言えば創作ではないんだけど、感覚としては同じ)もとくにしたいとは思わない。ついでに言えば、先月の今ごろはあれだけあった就活への意欲も尽きてしまったようだ。
派遣とはいえ定職についたからかもしれない。自動車学校にも通いはじめた。今現在はやることがたくさんある。充実感さえ感じる。
また、この2つが楽しい。仕事でやる気出たりすることが今までなかったけれど、楽しい楽しい。判断力・観察力・記憶力・状況対応力・閃きといったように脳みそをフルに使う。対人対応だから似ているような内容でもただのひとつとして同じことはしない。飽き性&持続力の無い僕にはたぶん合ってる。それで、車の運転も楽しい。加速→減速→シフトダウン→右コーナー、ヒールアンドトゥで思いっきりインを攻めたくなる、衝動と戦っている。
失敗したりうまくいかなかったりすると落ち込む。だけどうまくいったときはおれってすげぇって思える。あれ、じつはおれってそれほどクズじゃないのかな、って思える。人から誉められたときも、相変わらず6割くらいは皮肉だと思ってしまうけれど、残りの4割くらいで素直に喜べるようになった。
周りの人たちはきっと僕より100倍くらい生きてるのが楽しいんだろうな、って漠然と思ってたけれど、それもあながち間違いじゃないらしい。だってみんなこういうことやってる(やってた)んだ。それにプラスして彼女がいたり友だちがたくさんいたり、ひとり暮らししてたくさんの人たちや特定の人をお酒やつまみや会話と一緒に呼んだりして……。そりゃあ楽しいだろうな。
僕だってそっち側にいけるチャンスが何度もあった(と、僕は思ってる)。けど協調性と勇気と努力と決断力がなくて、あるいは自己嫌悪と自意識と未来放棄の形を取った諦めが邪魔をしてチャンスを掴むことができなかった。結果、僕が大学生をやってて得たものなんて、無数の後悔でしかなかった。それも、けっして取り返しのつかないたぐいのものだ。毎日寝る前と目覚めた瞬間とふっと気の緩んだとき、必ずそれを思い返す。腹ワタが煮えくり返る思いをする。知らぬ間に目に涙が溜まっている。外を歩く若い学生を見たときに、今まで知ることのなかった感情を抱いている自分に気づく。
けれど、そんな中でも、ああ、楽しいな、って感じる瞬間もあるんだ。「そうして知った痛みが、今でも僕を支えている」って、こういう意味なのかもしれない。よくわからないけど。
と、ここまで思って、また僕ははたと気づく。
今の自分の状態は、大学にいたときと一緒なんじゃないか。
大学生活=後悔、という図式がすっかり出来上がってしまっているし、大学生をやってた当時もそんなことを思っていたけれど、そんな中でも確かに楽しいと思えるときはあった。そして僕はあのときもあのときもあのときも、その現状に満足して、その楽しさに安住して未来を考えることを放棄していた。こんなのがずうっと続くもんだと思ってた。もっともっと、もう一歩先へ、という思考回路が無かった。だけど周りはその楽しみを楽しみとしてまるまる受け取りながらも、ずうっと未来を見ていてずんずん先へ進んでいたんだ。取り残された僕がそれに気づいたときにはもう遅くて、とりあえず何か行動しなくちゃと思ったはいいけど準備不足の上にまともな成長をしてこなかったから適切な行動の仕方がわからない。ここでも無用な自意識が拡大して僕の行動を統御する。その結果、楽しかった、と言えたはずの過去を、楽しかった、と言いいさえすればよかったはずの過去をよくわからない色で塗りつぶして、すべて後悔に変えてしまい、卒業の日のあの感情を味わうはめになった。それもこれもすべて自分が原因だ。
もう何度目になるかわからないが、今、僕は改めて自分への戒めのためにこれを書いている。
派遣なんか契約切られたらすぐに終わりだ。いくら楽しいって言ったって給料だってバイトに毛も生えないような額しかもらえない。そもそも、就職するために車学に行ってるんじゃなかったのか?
100倍楽しいの裏には100倍の努力があることにさっさと気づけ。自分なんてどうせクズだから、なんて努力を放棄することの言い訳にはならないぞ。今更しゃにむに努力したら笑われる? そりゃあそうだよ。誰もが10年も前に経験したりしたことを自分は今からやろうとしてるんだから。そりゃあ笑われるって。むしろガンガン笑われていこう。人から笑われて、それでも幸せを掴んだ人間を僕は何人も知っている。逆に、幸せを掴めなかった人たちは、人から笑われすらしなかったことも知っている。目指すものがあるだろう? 肩を並べてもう一度会ってもらいたい人たちがいるだろう?
……というわけで、僕はさっそく履歴書を書いて送ろうと思う。長々書いてきたわりに、おれってやること小っさいな
