忍者ブログ
カレンダー
03 2026/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30
フリーエリア
最新コメント
[03/31 藤木]
[02/25  ]
[03/30 しぐれ]
[03/30 藤木]
[03/29 しぐれ]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
藤木
年齢:
41
性別:
男性
誕生日:
1985/01/15
バーコード
ブログ内検索
最古記事
P R
04
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 アルバムの規格と写真のサイズが合っていないのか、写真はぴったりと嵌らずに若干収納スペースに余裕を残していた。しかし写真はすべてフィルムに貼りついていて、収められたその瞬間からおそらく時を止めていた。ただ、唯一残る父の写真だけは貼りついてなく、フィルムの上からそっと手でこすってみると簡単に動いた。他はきれいなのにここだけフィルム部分もくたびれていて、そこで僕は急に後ろめたさを覚え、そのままアルバムを元ある場所に戻した。
 それが中学確か1年で、自分の身長の低さは父からの遺伝だったと初めて知ったときだ。僕にとっての父はだからそのとき突然に青年の姿で現れ、10年経った今でもまったく同じ姿で僕の脳裏にある。
 よくある話だが、父は死んだと聞かされていた。けれど親戚がぽろりと漏らす言葉の端々から、早い段階でそれは嘘だと気づいてもいた。
 正直、どちらでもよかった。父が人間として生きていようが死んでいようが、僕にとっての父は写真の中で若かりし母に寄り添う青年でしかないからだ。ただ、たまにこっそりアルバムを開くと父の写真の場所がわずかに動いていたりしたから、母にとってはそうではなかったのかもしれない。真相はわからない。いずれにしても、僕が大学に入ったあとすぐに母が倒れ、そのまま世を去ったとき、僕は永久に答えを失ってしまった。


 僕は府中にある東京競馬場にいた。
 初夏の空気を孕み、芝生と土と馬糞の匂いがわずかに入り混じる風が向こう正面から吹きつけていた。コンコースには人が溢れ、上着を脱いでも汗が肌を滲ませた。
 僕の目的のサラ系3歳ダート未勝利戦は第1レースだった。
 少数頭立てで向こう正面を発出した各馬に乱れは無かった。
 赤の帽子は道中好位につけ、直線に向くとスパートをかけて他馬を2馬身ほど離したあと、流しながら1着で入線した。2着には追走していた2番人気馬がそのまま入り、人気順、馬単540円の払い戻しが確定した。
 場内はまったくどよめかない。あっけなく、元あった場所に収まるようなおもしろみの無い決着だったが、僕は買っていた単勝馬券を折れないように財布にしまい、ただ場内アナウンスがかの騎手が初勝利である旨を告げている。

 ウィナーサークルでお立ち台に上がり初勝利インタビューを受ける彼は、19歳になったばかりの顔を紅潮させながら、色々な感情が混ざったような形容しがたい表情を見せていた。
 インタビュアから最後にひと言求められたとき、彼はしばらく沈黙を保ってからマイクにこう声を乗せた。
「ぜんぜん勝てなくて、色々考えもしましたけど、勝ててよかったです。まず1勝て感じですね。これでやっと墓前の父と母に報告できます。でもやっぱり、偉大な父に比べたらまだまだですからね。これは単なる通過点、とか言うのではなくて1勝1勝を大事に積み重ねていきたいと思います。ファンの皆様、これからも応援よろしくお願いします」
 どこかで聞いたような少し捻くれた物言いに、少し笑ってしまった。そのとき、彼と間違いなく目があった。一時のヒーローである彼は、見知らぬ僕からすぐに目線を外したが、僕はしばらくずっと覚えている予感がした。そして、不思議そうに何か物言いたげで人を窺うような視線もやっぱり似ていると思った。
 それで十分だった。彼がお立ち台から下り、地下馬道に向かって歩みを進めると同時に僕もまた歩き出し、後ろを振り返ることなく入場ゲートを出た。
 空は晴れ渡り、風が街路樹を揺らしている。気の早い人はもう半袖を着ていて、小脇に新聞を抱えた人とたくさんすれ違う。競馬場はまだ第1レースを終えたばかり。1日はこれからだ。彼も今日あと4回の騎乗が控えている。
 僕はしばらく振りに母の墓参りをするべく、京王線に乗り込んだ。

 同日、史上最強と謳われた競走馬の初年度産駒がメインの安田記念で大番狂わせを演じた。騎手は31歳で中央G1初勝利となった。


 1)言わずもがな、フィクションです。だいたい、主開催のそれもG1開催週で初勝利なんて上げるのほぼ無理。
 2)今日の夕方、1年弱ぶりに腹が立った出来事があった。わざわざ電話かけてきてクレームにしたがる人の気持ちが、ほんの少しだけ、わかった気がしました。




PR
 メガネを買うため(だけ)に長岡まで行ってきた。

 信越線の車内でかわぐちかいじ『ジパング』を読む。
 最近、ブックオフで買っては毎日1冊ずつ読んでる。
 が、東三条あたりでもう読み終えてしまう。
 長岡に着いたら禁を破ってもう1冊帰り用に買うことにする。

 長岡駅前は相変わらず、地方都市の中の地方都市というか、なにか厭世的な雰囲気がする。
 新潟へ帰る最終電車を寝過ごして逃し、やむなく駅前のベンチで夜を明かしたときからもう4年も経つ。けど、なんとも言えないこの寂しく突き放された感じは何も変わっていない気がした。

 半ば予想していたことではあるけれど、グーグルプレイスで調べると、駅近くにはブックオフは存在していなかった。地図上の離れたところに赤い目印が立っている。かなり歩くことが予想されたが、どうせ予定も無い、道中おいしそうな食べ物屋に遭遇するのを期待しながら駅を背にした。

フォト
 長岡大手高校の前を通ると、グラウンドにたくさんの生徒の姿が。どうやら体育祭の予行演習をやっているようだった。外履きに履き替えて、よく滑る性質の悪い土(というか砂)の上を走りまわった日のことを思い出す。
 風が吹くと表層の砂が舞い上がり、白い体操着を汚して短パンから伸びたむき出しの脚を黄色くまぶす。太陽は容赦なく照りつけ、吹き出した汗があごを伝い地面にいくつも落ちてはすぐ蒸発していく。めんどくさくて袖で汗を拭ったりするから、白いはずだった体操着はすぐに色あせた。それでも、たくさん我慢したあとに水筒に直接口をつけて飲む麦茶のなんとおいしかったことか。
 ぼーっと眺めてたら、数人の女子学生がこちらを見ていたので、少し考えてなんとなく手を振ってみる。同じくぼーっとしながら手を振り返してきたのはそのうちの数人。とっさにこういう反応できる人とそうでない人の違いはどういうことなのだろう。このところあまり働かなくなった頭でわずかにそう考えるが、視界の隅で体育教師もじっとこちらを見ていることに気づき、足早にグラウンド脇を通り過ぎた。

フォト
 僕があやうく変質者になりかけた一方で、道は急速に田舎の様相を呈してきた。山がすぐ近くにはっきりと見える。こんなの、大学の調査実習地ぐらいでしか見たことない。
 仮にも新潟3大都市のうちのひとつ。それでも20分歩いただけでこうなる。新潟なんて田舎だと思っていたけれど、そうなるとここはどういう位置づけで把握すればいいのか。柳田国男の「都鄙連続論」とか米山俊直の「小盆地宇宙論」とかが頭をかすめる。意外とはっきり覚えてて我ながら腹が立つ。

フォト
 いよいよ調査地じみてきた。つい、話の聞けそうな大きくて古そうな家を物色してしまう。臆することなく敷地に足を踏み入れて、「ごめんくださーい!」と家内に呼びかけなければならない、という義務感が芽生えてくる。職業病、ならぬ学問病とでもいうのか。その延長線上で、道端のゴミステーションに町の組み振りと当番表らしきものが貼られているのに気づくが、当然無視。

フォト
 住宅街の真ん中でよさそうな食事処を見つけた。地場産の肉とか書いてあるのでむしょうに気になる。しかし、どうやら食事を出すところではなく、食材を売るところのようだ。
 中では近所のご婦人らしき2人が談笑している。きっとノートと鉛筆を持っていたら僕は突入していた。そして食材を買って、頼めばその場で調理してくれそうな雰囲気も漂ってる。見知らぬ家で見知らぬ人と仲良くなる芸当だ。
 けれどやめておく。そんなの地井武男か池田哲夫にでも任せておけばいい。少なくとも20代の人間がなすべき行動じゃあない。

フォト
 グーグルマップで見かけて気になっていた東北中学。教育機関マニアの僕は記念に1枚撮る。
 東北大学は宮城県仙台市。東北高校も宮城県仙台市。日本大学東北高校は福島県郡山市。東北中学は新潟県長岡市?しかしあとで調べてみたら長野市と白河市にも同じ名前の中学があるらしい。単に市の中の方角を表しているだけなんだろうか。もっとも、新潟県立南高校が全然南に無いのと同様、方角由来説も蓋然性は低い。

フォト
 結局、長岡駅から1時間ほど歩いた長岡バイパス沿いにあった。
 ここで、あるあるネタ。
 自分が探している本に限って無い。
 1巻から右に視線を移していって、16、と来たあとに18になっている。目の錯覚かと思ってもう一度見てみるも結果は同じ。しかも16巻の右側に少し隙間が空いていて、18巻が斜めに寄りかかっている。
 これと同じ現象はレンタルビデオ店でも起こる。そういうときはたいてい返却予定日は1週間後だ。自分と同じ時期にはまって、自分と同じようなことを考え、自分と同じ行動を若干少しだけ早く取った何者かの存在を感じる。
 駅の本屋で新品を買うしかない。
 徒労、そして出費だ。

 
 帰りは小さな川沿いの道を通っていった。通学路になっているようで、自転車を漕ぐ高校生に次々と追い越される。一人で漕ぐ人、数人集団で漕ぐ人、男女ペアで漕ぐ人。男女ペアの後ろ姿でも撮ってやろうかと思ったけれど、一瞬躊躇してるあいだにあっという間に撮影圏外へ離脱していった。しかし、あれはいい光景だったなあ。

 しだいに脚が張ってきた。空腹も限界に近づいている。行きと帰りを含め、5軒ぐらい良さそうな店を見ていたが、中途半端な時間だったからいずれも準備中の看板が降りていた。
 こんなことだったら、最初から朝早く起きて自転車で来ていたらよかったと思う。ギコギコ言わせた整備不良のママチャリが軽快に走っているのが恨めしい。


 行きとほぼ同じ時間をかけて長岡駅に帰りついた頃にはもう17時を回っていた。仕事や学校帰りの人々でさきほどより賑わっている。
 まず当初の目的であるメガネを買いに行った。視力を計ってもらってフレームを選び、出来上がりを待つ時間で食事と買物を済ます。ちなみに、食事は駅ビルの変哲の無いラーメン屋で取った。とくに感想は無い。

 同じ駅ビルの本屋で『ジパング』を探す。漫画本のコーナーで気になる案内表示を発見。一時期ブームだったようだが、また再燃してるんだろうか?

フォト
 したたかというかなんというか。
 したたかと言えば、まだ性懲りも無く『謎解きはディナーのあとで』が平積みされている。今回で第8回を数える本屋大賞だけれど、今回ばかりは選考基準がわからない。


 メガネ屋に行くと担当がかわいい女の子に代わっていた。彼女からメガネを受け取り、若干世間話(というかメガネ話)をする。「新しいメガネかけていきますか?」と訊かれたので「はい」と答え、セルフレームの青いメガネをかけた僕は長岡に背を向けて、信越線に乗り込んだ。
 
 新潟に帰ってから改めて鏡を見てびっくりした。
 The strange of the stranger.
 誰だおまえ!?
友だちの結婚式の余興を頼まれました(正確には友だちが依頼され、その相談を受けている)。

皆さんが過去に出席した結婚式および披露宴の余興で印象に残ったもの、自分のときにやってほしい、やってほしかったものなどあればぜひ教えてほしいです。
こういうの好きだから全力で(笑)取り組むつもりですし、難易度とかはとりあえず気にしなくていいですよ。
 昨年、自分の人格に大きな転機を与えてくれた人が言ってた。
「反省した反省した、とか良く言うけど、過ぎたこと、してしまったことを考えてもしょうがない。次しなければいいだけじゃん」
 おっしゃるとおり。まったくもって正論だし、僕もそう思っていた。次こそこういう機会があったら逃さず食らいついていこう。感度を高く保っていよう。
 でも、高校生活や大学生活が2度とやってこないのに気づいたのはじつはつい最近だったりする。ちょっと待てよ、「次」ってなんだよ! おれに「次」なんてもう無いんじゃん、って思った。

 昔、釈由美子主演でドラマ化された『スカイハイ』という漫画があった。死を迎えた人間は三択を迫られる。
「天国で再生を待つか」
「現世を彷徨い続けるか」
「現世の人間を1人呪い殺し、地獄へ落ちるか」

 そうか、生まれ変わりか、とちょっとした啓示を受けた気分になる。だとしたら話は簡単だ。
 タイムマシンかタイム風呂敷が発明されない限り、生まれ変わりを期待するしかない。生まれ変わりには死が必要だが、今すぐに自分の手で死ぬというのはパスだ。つまり、いつかわからないが将来確実にやってくるのを待つしかない。
 なるほど、考えるのもバカらしい。

 
フォト

「もし生まれ変わったらなんて目を輝かせて言ってたくない」
 思考の繋がりで、自転車漕ぎながらひとりB'zのメドレーを歌い始める。
 というのも、もうすっかり日が暮れて、人っ子ひとりどころか車の通りも疎らになってきた。道の両側には林、もしくは人家が連なっている。林と林の間が開けると向こう側が見えるが、はるか遠くを車が通っているのが見えるだけで近くに灯りはまったく無い。自分でもどこを走っているのかよくわからないが、なんとなく西に向かっている気はする。
 道沿いにしばらく行くと、急に看板が出てきて、佐潟にたどり着いたのがわかった。真っ黒な潟を眺めながら休憩を取る。ゼミの先輩がここを卒論の調査地に選んでいたっけ。
 携帯で地図を確認してから再出発。遠くにうっそりと聳える山が角田山らしいので、それを回りこむようなルートを進んでいく。
 30分ほど漕ぐとほんとに久しぶりに人工の光を見つけた。サークルK巻町桔梗が丘店と書いてある。ここで西川町に住む友人に電話。
 家にひとりでヒマしていたらご飯に誘おうと思っていたが、残念ながら仕事場だった。やはり締切り間近で忙しいようだ。友だちからの合コンの誘いも断ったという。電話口から他にも物音が聞こえているから、会社もフル稼働らしい。
 自転車で来ていることを話したら、「きみはいつまで16歳のつもりだい?」というありがたい言葉を頂戴した。16歳の僕は何も考えていなかったから、こんなことしようとするわけない。
 それから簡単に道を教わり、周囲に食事のできるところを紹介してもらった。
 紹介してもらったこまどりで塩バターラーメンを食べ、翌日も仕事だからここらで帰路に着くことにする。

 かの友人とは大学で知り合った。
「いいことばかりじゃないけれど、悪いことばかりでもない」
 CLANE FLYやBLUE HEARTSを歌いながら116号を飛ばす。
 そう、明日も仕事だ。別に僕にしかできないことでは全然ないけれど、それが僕の仕事だ。
 僕のやるべきこと。
「毎日仕事をする」
「借金を返す」
「車を買う」
「仕事を探す」

 やるべきことが多すぎる。
 そういうものを通り越して、なにを過分な望みを抱いていたんだろう、バカらしい。
 向いてないことはやるべきじゃない。その前にやるべきことがあるならなおのことだ。
 
 あー、だけど、きっと僕はまた繰り返す。日常の積み重ねが我慢できなくて、研鑽の日々が停滞に見えて、一足飛びに楽な方へ行こうとする。そうしてそのたびにおんなじ気持ちを抱くのかもしれない。
 それは人間としては間違っている。容易に侮蔑の対象になるだろう。
 しかし笑わば笑え。世の中にはスマートに物事を運べる人がいる。じっくりと脂汗をかきながらもじりじりと目標に近付く人もいる。奇妙な行動を取って人に後ろ指さされながら、目標に対して一途な人もいる。笑われる人もいる。
 でも結果的に何も得られなかった人は、そのじつ、笑われてもいなかったことを僕は知っている。そういう人間にだけは死んでもなりたくない。
 向いてないことはやるべきじゃない? くそったれ、だ。
「終わらない歌をうたおう。明日には笑えるように」

 キキが起きだして、夜更かしの僕をさっそく笑い出した。なるほど、確かにもう朝だ。
 おやすみなさい。
 しかしひでぇ文章だなぁ。
 ヒマ潰しのひとつとして自転車を漕ぐ。頭がよからぬ考えで支配されるととにかく遠くへ行こうと思う。
 中学生か! というノリツッコミを自身に課しつつ、スプロケット周りを掃除する。
 ゴミは取り除いた。丹念に油汚れを拭いた。注油した。
 ハンディポンプ装着した。換えのチューブとパンク修理キット持った。
フォト
 
 東港線から萬代橋を渡り、恒例の信濃川河川敷へ。サイクリング、ランニング、いぬのさんぽ、デート、それぞれが好き勝手にこの道を使ってる。高校生カップルがベンチに座って話している。「ちょっと河川敷に寄って行こう」とか言ってここに至るんだろうか(違うんだろうな)。
 関屋分水路を橋で渡り、下り坂の勢いに任せてそのまま青山へ突っ込む。
フォト

 ずーっとずーっと、ひたすら西へ行く。途中、寺尾のあたりで丸木屋(白木屋だったか?)というラーメン屋に入ることを目論むも、本日休業の立て看板。
 このあたりでもう困っていた。なにしろ目的地が無いものだから、どこまで行こうか、どこで引き返すべきか。とりあえず大学まで行ってみる。
 相変わらず殺人的な上り坂を最大戦速で上りきり、大学前の道を流す。わずか2年前まで日常的に見ていた風景が流れていく。なにがどう違うわけでもない。別に異境の地でもないし、肌の色の異なる人が住んでいるわけでもない。それなのに僕は部外者、というプレッシャーに押しつぶされそうになっている。錯覚、及び被害妄想だ。けれど僕の体は如実にそれを感じる。
 僕は何か大きなものをここに置き忘れている。そしてもう二度と手に入らないものだと思っている。だからちょくちょく来たくなるし、来るたびに同じことを感じるんだ。
 手に入れたいもの、叶えたい望みがあった。奇跡がいくつも転がっていた。それらに気づかずに、あるいは気づいていない振りをして僕は素通りしていった。勘違いが怖かった。もちろん、素通りしたあとに気づいたものも多くあった。けれどそうして拾いに行くと、もう奇跡は奇跡では無くなっていた。
 抽象的すぎてまったくわからん。要するに、チャンスは1回きりだったんだってことだ。当たり前だけど、頭と感覚の鈍い僕のペースに世界は合わせてはくれない。
 現金なものだ。昨年の一時期、僕はまったくこんなことは考えていなかった。自分に絶望してるときだけこんな考えが繰り返し繰り返し浮かぶ。過去の自分のせいにしたいんだろう。人のせいにすることをよしとしない、なら責められるのは自分だけだから。せめて今の自分じゃなくて過去の自分を悪者にしたい。
 自分は悪くない。その一瞬一瞬はともかく、平均して自分は間違ったことはしていないと信じている。けれどそれは必ずしも正しいことをしているということを意味しない。
 ペダルを踏む足は止まらず、自転車は川を渡って未踏の地へ。
Copyright c アリに頼らないキリギリス~つまり開き直り~ All Rights Reserved
Powered by ニンジャブログ  Designed by ピンキー・ローン・ピッグ
忍者ブログ / [PR]