アルバムの規格と写真のサイズが合っていないのか、写真はぴったりと嵌らずに若干収納スペースに余裕を残していた。しかし写真はすべてフィルムに貼りついていて、収められたその瞬間からおそらく時を止めていた。ただ、唯一残る父の写真だけは貼りついてなく、フィルムの上からそっと手でこすってみると簡単に動いた。他はきれいなのにここだけフィルム部分もくたびれていて、そこで僕は急に後ろめたさを覚え、そのままアルバムを元ある場所に戻した。
それが中学確か1年で、自分の身長の低さは父からの遺伝だったと初めて知ったときだ。僕にとっての父はだからそのとき突然に青年の姿で現れ、10年経った今でもまったく同じ姿で僕の脳裏にある。
よくある話だが、父は死んだと聞かされていた。けれど親戚がぽろりと漏らす言葉の端々から、早い段階でそれは嘘だと気づいてもいた。
正直、どちらでもよかった。父が人間として生きていようが死んでいようが、僕にとっての父は写真の中で若かりし母に寄り添う青年でしかないからだ。ただ、たまにこっそりアルバムを開くと父の写真の場所がわずかに動いていたりしたから、母にとってはそうではなかったのかもしれない。真相はわからない。いずれにしても、僕が大学に入ったあとすぐに母が倒れ、そのまま世を去ったとき、僕は永久に答えを失ってしまった。
僕は府中にある東京競馬場にいた。
初夏の空気を孕み、芝生と土と馬糞の匂いがわずかに入り混じる風が向こう正面から吹きつけていた。コンコースには人が溢れ、上着を脱いでも汗が肌を滲ませた。
僕の目的のサラ系3歳ダート未勝利戦は第1レースだった。
少数頭立てで向こう正面を発出した各馬に乱れは無かった。
赤の帽子は道中好位につけ、直線に向くとスパートをかけて他馬を2馬身ほど離したあと、流しながら1着で入線した。2着には追走していた2番人気馬がそのまま入り、人気順、馬単540円の払い戻しが確定した。
場内はまったくどよめかない。あっけなく、元あった場所に収まるようなおもしろみの無い決着だったが、僕は買っていた単勝馬券を折れないように財布にしまい、ただ場内アナウンスがかの騎手が初勝利である旨を告げている。
ウィナーサークルでお立ち台に上がり初勝利インタビューを受ける彼は、19歳になったばかりの顔を紅潮させながら、色々な感情が混ざったような形容しがたい表情を見せていた。
インタビュアから最後にひと言求められたとき、彼はしばらく沈黙を保ってからマイクにこう声を乗せた。
「ぜんぜん勝てなくて、色々考えもしましたけど、勝ててよかったです。まず1勝て感じですね。これでやっと墓前の父と母に報告できます。でもやっぱり、偉大な父に比べたらまだまだですからね。これは単なる通過点、とか言うのではなくて1勝1勝を大事に積み重ねていきたいと思います。ファンの皆様、これからも応援よろしくお願いします」
どこかで聞いたような少し捻くれた物言いに、少し笑ってしまった。そのとき、彼と間違いなく目があった。一時のヒーローである彼は、見知らぬ僕からすぐに目線を外したが、僕はしばらくずっと覚えている予感がした。そして、不思議そうに何か物言いたげで人を窺うような視線もやっぱり似ていると思った。
それで十分だった。彼がお立ち台から下り、地下馬道に向かって歩みを進めると同時に僕もまた歩き出し、後ろを振り返ることなく入場ゲートを出た。
空は晴れ渡り、風が街路樹を揺らしている。気の早い人はもう半袖を着ていて、小脇に新聞を抱えた人とたくさんすれ違う。競馬場はまだ第1レースを終えたばかり。1日はこれからだ。彼も今日あと4回の騎乗が控えている。
僕はしばらく振りに母の墓参りをするべく、京王線に乗り込んだ。
同日、史上最強と謳われた競走馬の初年度産駒がメインの安田記念で大番狂わせを演じた。騎手は31歳で中央G1初勝利となった。
1)言わずもがな、フィクションです。だいたい、主開催のそれもG1開催週で初勝利なんて上げるのほぼ無理。
2)今日の夕方、1年弱ぶりに腹が立った出来事があった。わざわざ電話かけてきてクレームにしたがる人の気持ちが、ほんの少しだけ、わかった気がしました。
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